Kobe Bryant – コービー・ブライアント

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背番号
8
名前
Kobe Bryant - コービー・ブライアント
国籍
usa アメリカ合衆国
位置
Shooting Guard
Height
198cm (6 ft 6 in)
Weight
96.2kg (212 lb)
現チーム
引退
過去のチーム
Los Angeles Lakers – ロサンゼルス・レイカーズ
Leagues
NBA

出身大学:
ドラフト:1996年 13位

誕生そして高校卒業直後にNBAへ

1978年8月23日生まれ。ペンシルベニア州フィラデルフィア出身。

父親が良く通っていたKOBE STEAKHOUSEという鉄板焼きレストランの名前が日本のKOBEという場所であることを知り、それを気に入って子供の名前にKOBEと付けたという。

フィラデルフィアのローワー・メリオン高校に進学し、高校3年の時にバスケットボールの才能が開花。ペンシルベニア州の高校生記録を更新し最優秀選手に選ばれるなどして一躍有名になり、4先生時には母校を州チャンピオンに導いた。

通常は大学に進学して、その後アーリーエントリーでNBAに行くというのが通常の流れだったが、高校卒業してすぐにアーリーエントリーを行い、13位でシャーロットホーネッツから指名を受けた。しかしレイカーズ以外に行くなら大学に進学すると公言していたため、興味があったレイカーズがホーネッツとのトレードに動き、レイカーズ入りが決まった。(トレードに出されたのは、マジックジョンソンらと活躍したセンターのディバッツだった)。同年のドラフトでは、アレン・アイバーソン、レイ・アレン、スティーブ・ナッシュなどの有名選手もいた。また、入団したシーズンにオーランドマジックからシャキール・オニールが移籍してくる。

NBAでの輝かしいキャリアのスタート

シーズン1年目のオールスターではスラムダンクコンテストで最年少優勝を果たし、1999年のシーズンにはついにレイカーズをファイナル優勝に導いた。この年のヘッドコーチはブルズを2度の3ピートに導いたフィルジャクソンヘッドコーチがレイカーズに移籍し、3ピートのメンバーでもあったブルズのロン・ハーパーなどのベテランも加わり優勝へ盤石の構えができていた。

2000年のシーズンでは更に調子を上げ、また私生活では結婚など大きな転機を迎える。その後も好調は続き、ファイナル決勝ではアレン・アイバーソン率いる76ersと対戦し、二連覇を勝ち取った。

さらに2001年のシーズンも好調で年間80試合出場なども果たし、ファイナルでジェイソンキッド率いるニュージャージー・ネッツと対戦しスイープで優勝した。これでレイカーズは3連覇(3ピート)を達成し、コービー自身23歳という最年少での3ピート達成を記録した。

2003シーズンのレイカーズはオールスター級のチームとなった。歴代2位の得点王ジャズの「カールマローン」やバックスから「ゲイリーペイトン」を獲得、シャックも居る最高の布陣にもみえた。ファイナル進出はするも、ピストンズに1勝4敗という結果に終わった。

2005シーズンはコービーにとってすごいシーズンとなった。1月26日のラプターズ戦でキャリアハイとなる1試合81得点を記録。シーズン中27試合で40得点以上を記録し、平均得点は35.4得点でシーズン得点王にも輝いた。しかしプレイオフでは1回戦敗退だった。

2006シーズンも止まらないコービーは大記録を連発。この年から背番号を8番から24番へと変更している。1シーズンで50得点以上を10回、そのうち2回で60点以上を記録した。しかしこの年もプレイオフは1回戦敗退となった。キャリア10年目を迎え、高校生の時に着けていた24番にすることで、初心にかえるのと、今までのキャリアがあまりにも速いスピードで過ぎていき、1日が24時間であることに感謝し1日1日を大事にこれからのキャリアを歩んでいきたいという思いから24番にしたという。

2008シーズンを前には、オリンピックアメリカ代表として活躍、チームに金メダルをもたらした。リーグでは順調に勝ち進み、プレイオフではMVPを獲得。チームを7年ぶりの優勝に導いた。翌年の2009シーズンにも優勝を果たし自身5度目のNBAチャンピオンとなった。2度目の3ピートがかかった翌2010シーズンは、残念ながらプレイオフ2回戦で敗退となった。

2012年、自身2回目となるオリンピック「ロンドン大会」に出場しまたも金メダルを獲得した。

以降は多くの怪我に悩まされ、2015年11月29日に引退のメッセージを発表し、シーズン最終戦を迎える。コービーは現役引退試合でキャリア6回目の60得点を記録し、残り2分30秒で10点ビハインドからの逆転劇も演出し有終の美を飾った。

 

2020年突然訪れた死去

まさに突然の訃報である。2020年1月26日10時(日本時間27日午前3時)、コービーは次女ジアナとバスケットボールの試合に向かうためヘリコプターに搭乗。途中ロサンゼルス郊外のカラバサス付近でヘリが墜落し、コービー含む、同乗していた全員の死亡が確認された。

1996年のドラフト以来引退する2016年4月13日の引退試合まで、ロサンゼルスレイカーズ一筋で活躍する。

レイカーズを5回のNBAチャンピオンに導き、自身もシーズンMVP1回、ファイナルMVP2回、オールスターMVP4回という輝かしい成績を残している。

1試合のPTSキャリアハイは81得点で歴代2位。

 

世界中の人々にミラクルなプレーで感動を与えてきたコービー・ブライアント氏に最大の敬意を払い、哀悼の意を表します。



Kobe Bryant 60 Points in Final Game

81 Points Game Highlights

KOBE BRYANT HYPED PLAYS

コービーの死に対するNBAの反応

あまりにも突然のお別れ。その日もNBAはシーズンのゲームが組まれていました。今の現役プレイヤーの中にはコービーにあこがれてNBAを目指した人も多く、またコービーから多くの事を学び、師弟関係にあるプレイヤーも居ます。

コービーの死が告げられた日に行われたNBAの試合では、コービーの背番号である24番と8番の2つの数字が使われているNBAルールを利用し、試合直後24秒バイオレーションでゲームの時間をコービーにささげ、相手は8秒バックコートバイオレーションでコービーに哀悼の意を表しました。