KOBE BRYANT – コービー・ブライアント
2018-2019 THREADS BASKETBALL NO.171
CARD INFORMATION
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【カード詳細】
コービー・ブライアントの背番号
コービー・ブライアントの背番号は8番でした。しかしキャリア10年目を迎えた2006‐2007シーズンから背番号を「24」に変更しました。
彼の背番号には歴史があります。
コービーの父親のジョー・ブライアントはフィラデルフィア・セブンティシクサーズに所属するNBAプレイヤーでした。小さい頃から父の姿を見ていたコービーはバスケにハマっていきます。1983年、ジョーブライアントはイタリアリーグに移籍することになったため、一家はイタリアに移住します。コービーが6歳の時でした。このジョーブライアントがNBAでつけていた背番号は33番でした。
7年間イタリアで過ごしたコービーは米国に戻り高校に進学します。この時最初に付けた背番号は24番でしたが、のちに父親の背番号33番をつけます。
NBA入りした時にも33番をつけたかったようですが、レイカーズにはアブドゥル=ジャバ―が33番で永久欠番にもなっていたためかないませんでした。
NBAに入り8番をつけましたがキャリア10年を迎え、あっという間に時間がたってしまった10年間を振り返り、より1日1日を大切に過ごしていきたいという意味で1日24時間をもっと大切にしようという思いと最初に付けた24番に立ち戻りプレイを見つめなおすという意味で24番に変更したようです。41歳で亡くなったコービー。今、このときの思いの大切さ感じます。
2020年1月26日の事故後、レイカーズは8番に加え24番の背番号も永久欠番にすると発表しました。その後、ネッツのスペンサーディンウィディーをはじめとする一部「8」や「24」を付けるNBA選手がコービーへ敬意を表して背番号の変更を表明。ディンヴィディーは8を26にしました。コービーの命日とコービーの背番号24にコービーと共になくなった娘ジアナの背番号2足した数字として選んだといいます。
「8」と言えば八村選手もその1人。彼は自分の名前を意味する8と同じ背番号だったコービーの「8」を背負う事でコービーへの敬意を示しています。
※2018-2019THREADのジャージカードシリーズ。